ヒヤリハットと老子

「天下の難事は、必ず易より作り、天下の大事は必ず細より作る」

「難はその易に図り、大をその細に為す」

 

老子の言葉です。

 

解決が難しい問題や大きな問題は、いずれも最初は小さな問題から起きる。

問題が小さい時に解決することが大事である。

 

ヒヤリハットそのものですね。

ブッタの言葉を読んで

久しぶりの投稿です。

最近はいろいろ動き回っています。仕事の方もそれなりに順調で、充実した日々を過ごすことが出来ています。

仕事以外の場を充実させると、仕事にもいい影響があるのだと、感じているところです。

 

現在「ブッタのことば」の読書中ですが、その中に有名な言葉があります。

「罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人、ーかれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。」

過酷な現場で働く人の心を鼓舞する言葉ですね。

ほとんどの人が、世の中を回すために犠牲的努力を強いられています。

底辺の職業ランキングというものがありましたね。あれに対しては、たくさんの批判があったと思います。私も、あのランキングには不満を感じました。

でも、その職業に従事している人の中には、仕事に誇りを持てないと考えている人もそれなりにいるそうです。

大事な仕事であるにも関わらず、誇りを持つことが出来ない。ただ大変な仕事になってしまっているということが、いかに辛いことか。

この人たちがいないと生きていけない人がたくさんいるということを、この世界に生きる全ての人は気づかないといけません。そして、過酷な仕事に従事している方が尊敬される世の中になるべきだと思います。

「自分は社会に必要とされている」

誰もがそう感じられる世の中になってほしいです。

 

私は、1人の教師として、社会貢献への高い意欲と自己有用感の育成、そして何より、全ての人をリスペクトする人を育てていきたいと、改めて思いました。

これからの自分のテーマです。

 

本物は目立たない

教師って難しい。

本当に凄い教師ほど、評価されにくい。

教えている自分より、教えた生徒の評価の方が大事だし、自分への評価で一喜一憂していい仕事ではないからこそ、奥が深くて難しい。

本物は目立たない。

教師の世界はまさしくその通りなのかもしれない。

人付き合い

・謙虚になること

・誰であっても下から出ること

・余計なこと話さず、聞く側に徹すること

・苦手と思っても、その人を受け入れること

 

これが出来ればとりあえず大丈夫。

 

人付き合いは大変ですね。

頭が働かない

頭が働かない。

これは言い訳なんですけど。

今の状態、完全に鬱です・・。

初任2年目。去年のやる気まんまんな自分はどこへ行ったんだ、、。

ちなみに今、生徒指導主事ですが、職場ではお前いらない状態です。

別の先生が、私の代行をしてくれています。

情けないし、仮に私がそこに入っても、何もできないのが目に見えているので、何も言い返せません。

まあ、去年、私の態度が悪かったので、自業自得なんですが、、。

でもね、去年の私の立場に少しでも立ってみろ。誰でもまともな思考力なくなるからな。

こんなこと言ったところで、全て言い訳なので、今日はここまでにします。

最後に聞いてください。

★仕事できない人あるある。

「仕事できないことを責められ、萎縮し、余計できなくなる。」

また次回。

できる教師って何よ?

できる教師って何ですか?

このブログを見ていただいた人にもお聞きしたいです。

現場では、できる教師と言われた時、こういう人のことを指しませんか?

・事務仕事が正確かつ迅速。

・自分がやっていることを合理的に説明できる。

これについて、皆さんはどう思われるでしょうか?

まず、大前提として、教師にとって1番の仕事は、子どもを育てることです。

では、事務仕事が正確かつ迅速な人は、生徒対応も素晴らしいでしょうか?

それから、自分のやっていることを合理的に説明できるとして、それは誰目線での意見でしょうか?

ただの自己満足に陥っていても、それが正しいという結論に、現場全体がなっていませんか?

学校現場の世界に入ると、いい教師とはどんな人か、見方や考え方が変わっていきます。

学生時代に思っていたいい先生は、教師世界から見れば、必ずしもいい先生とは言えないという話を、何度も耳にしました。教師に対しての評価は教師にしか下せません。たとえ、子どもや保護者がいい先生だと言われたとしても、それはただの人気取りだと言われ、評価には入れてもらえないのが現実です。

そのため、同僚教員の圧に負けて、力のある人の方針に従わざるを得なくなります。それが、たとえ子どもの実態にあっていなくても、合理的に説明できれば、そうせざるを得ないのです。

それが、チーム学校、組織対応の現実です。

それでは、誰のための教育なのか、分からなくなりませんか?

教員のブラック労働は、何も労働時間に限った話だけではありません。成果指標が数値化されないのは、目に見える結果だけで評価できる仕事ではないということを表しています。それにも関わらず、権力欲しさに仕事ができるできないでマウントの取り合いが起き、犠牲になる教員が出てくるのです。

いじめはダメよと生徒に言いながら、何かしらの成果を引き合いにして人を見下し、おとしめ、上に立とうとする。

それって、いじめと同じですよね?

 

論点がずれましたね・・・。

皆さんが思う、できる教師とは、どんな人ですか?教えていただけると嬉しいです。

また、この投稿を読んで何か思われましたら、ご意見ください。

お待ちしております。